2009年7月22日水曜日

論理療法の言葉

認知心理学ではフレームという概念がとても大切になります。

同じ悪口を言われたとしても、傷つく人と傷つかない人がいます。

なぜか?それは、その人の持つ考え方・信念が違うから。

ある人は「あの人は俺に悪口なんていうべきでない!」と思っており、
ある人は「あの人は悪口を誰にでもいうう人だからいつもの通りだな」と思っているとします。

当然、二人の反応が違ってきます。
1人は悪口を言われて激怒し、1人は受け流すでしょう。

このようにその人が持っているビリーフがその人のあり方を決めるのです。
論理療法(認知療法・行動療法)では、この考え方を変えようとします。

クライアントに自らのビリーフに気づかせ、それを変更していくのです(リフレーミング)
あるときは、言葉によって、あるときは行動させることによって。。。

このビリーフっていわゆる、小さい頃から見につけたものであり、自分の無意識にある考え方だと思うのですが、これって、「言語」と同じなのでしょうか?

情動記憶(感情的な記憶)ともくっついている気がするし、単に言語以上の性質を持つ気がするのですが?よって、その変更方法も単純な言語による介入ではなく、他の方法ある気がするのですが、そこらへんって詳しく研究されているのでしょうか?

もう少しくわしく見てみたいと思います。

2009年7月21日火曜日

求めよさらば与えられん

Ask, and it will be given to you; seek, and you will find; knock, and it will be opened to you. For everyone who asks receives, and he who seeks finds, and to him who knocks it will be opened.

求めよ、さらば与えられん
尋ねよ、さらば見出さん
叩けよ、さらば開かれん
                          新約聖書「マタイの福音書」第7章第7節

全くもって賛同できない。

求めるのではなく、自分で勝ち取らないと!
尋ねるのではなく、自分で見つけ出さないと!
叩くのではなく、自分がドアを壊して開けないと!


全力を尽くした後で初めて、待つんじゃないの?

「人事を尽くして天命を待つ」

のほうが自分にあってます。